深川洲崎神社

江戸の風光明媚と「玉の輿」の由来を今に伝える社

◎洲崎神社由緒(すさきじんじゃ)

当洲崎神社は元弁天社と称し厳島神社の御分霊祭神市杵島比売命を斉祀しております。 創立は徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院の守り神として崇敬するところとなり、元禄十三年、 江戸城中、紅葉山より此の地に遷して宮居を建立してより代々徳川家の守護神となっ当時は 海岸にして絶景、殊に弥生の潮時には城下の貴賤袖を連ねて真砂の蛤を 「捜り楼船を浮べて妓婦の絃歌に興を催す」とあり、文人墨客杖を引くという絶佳な所で あったという。浮弁天の名の如く海中の島に祀られてありました。 明治五年御由緒により村社に列せられ世間より崇敬厚かった。大正の震災、 昭和の戦災に社殿は焼失されたが弘法大師作の御神体は幸にして難を免れ、 当時は仮社殿に奉斉して居りましたが昭和四十三年現在の社殿を造営し斉祀し て現在に至っております。
(境内の説明です)

◎ 洲崎神社とは
地域の人々から篤い信仰を集め崇敬されている


  • 歴史と由来

    深川洲崎神社の創建は元禄13年(1700年)。当時、この地はまだ海に面した洲崎で、 江戸城内に祀られていた弁財天を遷座したのが始まりです。この弁財天は、桂昌院が深く 信仰していたもので、弘法大師の作とも伝えられています。
    かつては「洲崎弁天社」と称され、社殿が海に浮かぶように見えたことから「浮き弁天」 とも呼ばれ、その美しい景色は歌川広重の浮世絵にも描かれるほどでした。江戸庶民にとっては、 潮干狩りや舟遊び、初日の出を拝む名所として大変な賑わいを見せていました。
    明治時代の神仏分離令により「洲崎神社」と改称されましたが、今もなお地域の人々から篤い信仰を集めています。

  • 「玉の輿」の由来

    東京都江東区木場に鎮座する深川洲崎神社(ふかがわすさきじんじゃ)は、 江戸時代には風光明媚な景色で知られ、また5代将軍徳川綱吉の生母、 桂昌院ゆかりの神社としても名高い歴史ある社です。
    近年では、桂昌院の逸話から 「玉の輿」のご利益を願う参拝者も多く訪れます。

  • 波除碑(なみよけのひ)

    寛政三年(1791)深川洲崎一帯に襲来した 高潮により、付近の家屋がことごとく流されて 多数の死者・行方不明者が出た。幕府はこの災害 を重視し、洲崎弁天社から西方一帯を買い上げ て空地とした。 その広さは東西285間余、南北30間余、総坪数5467坪余(約18000㎡)に 及んだ。そして空地の両端の北側地点に、波除碑 をニ基建立した。建設は寛政6年頃で、当時の碑 は地上6尺、角1尺であったという。  現在はニ碁ともかなり破損しており、特に平 久橋碑は上部約3分の2を失っている。碑文は 屋代弘賢と言われているが、ニ基ともほとんど 判読不能である。『東京市史稿』によれば、「葛飾 郡永代浦築地此所寛政三年波あれの時家流れ 人死するもの少からす此後高なみの変はかりか たく流死の難なしといふへからす是によて西 は入船町を限り東ハ吉祥寺前に至るまで冗長 285間余の所家屋とり払ひあき地に なしをかるゝもの也寛政甲寅12月日」と記 されていたという。 材質は砂岩で、総高は平久橋碑が130.8cm 、洲崎神社碑が160.1cm。現在の位置は、 旧地点を若干移動しているものと思われる。江 戸時代の人々と災害の関係を考える上で重要な 資料である。 平成23年3月 建設 東京都教育委員会
    (境内の説明です)

  • 六稲荷神社(おろくいなりじんじゃ)

    深川洲崎神社の境内にある六稲荷神社は、かつて境内に祀られていた6つのお稲荷さんを合祀したものです。商売繁盛や家内安全などのご利益があるとされ、 人々の信仰を集めています。特に、洲崎神社が「深川のお酉様」として酉の市で賑わう時期には、 多くの参拝者が訪れます。

  • 名人竿忠の碑

    境内にある「名人竿忠の碑」は、江戸和竿(わかん)の名工としてその名を轟かせた初代・竿忠(さおちゅう)、本名・中根忠吉(なかね ちゅうきち、1864年~1930年)の功績を後世に伝えるために建てられた石碑です。
    碑の概要
      建立の目的: 明治から昭和初期にかけて活躍し、和竿作りを単なる道具から美術工芸品の 域にまで高めた名人竿忠の偉業を顕彰するために建立されました。
    ●建立と再建の歴史
      最初の碑は、初代竿忠が亡くなった翌年の昭和6年(1931年)に、その弟子や釣り愛好家たちの手によって建てられました。 しかし、第二次世界大戦の戦火によって損傷してしまったため、昭和49年(1974年)に現在の碑が再建されました。
    ●碑文
      再建された碑の文字は、明治から昭和にかけて活躍した思想家であり、ジャーナリストでもあった徳富蘇峰(とくとみ そほう)によって書かれたものです。 名人・初代竿忠について初代竿忠こと中根忠吉は、江戸和竿の歴史において特に重要な人物とされています。
    ●功   績
      刀の鞘(さや)に施される漆塗りの技法を和竿作りに応用し、「松皮塗り」や 「錆竹塗り」といった新たな技法を考案しました。これにより、和竿の機能性だけでなく、その芸術的価値を大きく高めました。
    ●国際的な評価
      1900年(明治33年)に開催されたパリ万国博覧会に出品した和竿は高い評価を受け、日本の伝統工芸の素晴らしさを世界に知らしめました。
    ●明治三名人」の一人
      その卓越した技術から、他の二人の名工とともに「明治三名人」と称されています。
    ●文化的な影響
      その人柄や職人としての生き様は、作家・長谷川伸の戯曲『名人竿忠』のモデルにもなり、広く知られるようになりました。 深川洲崎神社を訪れた際には、日本の釣具の歴史と伝統工芸の発展に大きく貢献した名人の功績を伝えるこの碑にも、ぜひ足を止めてみてください。

  • ご祭神とご利益

    主祭神は市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)で、弁財天としても知られています。水の神、芸事の神、 そして財宝を授ける神としてのご神徳があります。
    ?特に注目されるのが、創建に深く関わった桂昌院(幼名:お玉)の逸話にちなんだ「玉の輿」のご利益です。 八百屋の娘から将軍の側室となり、ついには将軍の生母にまでなった桂昌院の立身出世の物語から、 良縁や出世開運を願う人々が参拝に訪れます。境内には「玉の輿たまちゃん」という可愛らしいキャラクターの像も建てられています。
    ?その他にも、家内安全、商売繁盛、交通安全、安産、厄除けなど、幅広いご利益があるとされています。

  • アクセス

    電車:東京メトロ東西線「木場駅」1番または2番出口より徒歩約2分と、アクセスしやすい場所にあります。

    ●江戸時代から続く歴史と、現代的なご利益への祈りが共存する深川洲崎神社。都会の喧騒を忘れさせてくれる静かな境内で、 その歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

  • 須崎神社鳥居

    須崎神社鳥居と正面御神殿

    御神殿

    御神殿

    津波警告の碑

    境内の波除碑由緒

    名人竿忠の碑

    玉の輿「たまちゃん」

    六稲荷神社①(おろくいなりじんじゃ)

    六稲荷神社②(おろくいなりじんじゃ)

    ●浮世絵  須崎弁財天境内全図
    ●著  者:  一立斉  広重
    国立国会図書館より使用